八事窯は楽焼以外にも焼成していたが、戦後は楽焼専門となりました。


楽焼の特徴と焼成


楽焼とは

楽焼きは桃山時代(16世紀)楽家初代長次郎によって始められました。

 

近年の研究によって、楽焼のルーツは中国河南地方の明時代三彩釉であるということがわかり、緑や黄色、褐色釉など色鮮やかな三彩釉は、のちに交趾焼などとも称され、日本でも桃山時代に中国明時代の三彩釉(華南三彩)を模した焼物が盛んに焼かれ、長次郎の窯もその一つと考えられます。


しかし焼成・釉技術など基本的には同じ範疇に属すといえるが造形、釉調にいたる美意識は中国華南三彩とは大きく異なり、色釉、黒釉、あるいは聚落土の色を活かした赤色の茶碗など、楽茶碗は中国華南三彩のカラフルな色釉技法をつかって黒と赤のモノトーンの世界を表現している。


そこには長次郎に深い影響をあたえた千利休の“わび茶”の思想・美意識が濃厚にうかがえる。

 

これまでの焼物とはまったく異なる方法論と技術によって導かれた楽焼は、利休や長次郎が生きていた時代は、まだ“楽焼”という名称はなく、この新しく生まれた茶碗は当初は“今焼”と称されていた。
今焼かれた茶碗、新しい茶碗、という当時としてはある意味、前衛的な茶碗(焼物)であったであろう。


楽家が秀吉が建てた聚楽第の近くに居を構え、聚楽第付近の土を用いてたこと、楽焼を世に出した千利休が聚楽第に屋敷を構えていたことなどからこの焼物が後に“聚落焼茶碗”と呼ばれるようになり、やがて“楽焼”“楽茶碗”と称されるようになったと思われる。


また、豊臣秀吉から“楽”の印字を賜ったともされている。


いずれにせよ“聚落焼”の“聚落”とは秀吉によって造営された“聚楽第”のことであり、楽焼の“楽”とは“聚楽第”の焼物としてその一字を取って“楽”と称されたと考えられる。


楽焼の特徴

楽焼の特徴は、「手捏ね」(てづくね)成形と内窯焼成という制作技法にあります。

 

手づくね成形とは、轆轤(ろくろ)使わず、土を手でこねて形を作り、箆(へら)で削って姿を整える作り方です。

箆で削った跡が、それぞれの楽焼の特長となり、見所となります。

 

内窯焼成とは、家屋内に作られた小規模な釜で750℃ - 1,200℃で焼成することです。

 

一般的に陶器は、山間部の傾斜地に大規模な窯を築き一度に大量に焼成しますが、楽焼は、街中の家の中の小規模な窯で生産されます。

 


焼成(五代道年)


中村道年 焼成
八事窯 焼成